小田原に生まれた『はれやか農園』| まきさやか #01 〈タシナミ〉

「農業っておじいちゃんがやってるもの」
「寡黙な人しかいなそう…」

彼女が最初に持った農業のイメージと、私たちの持つイメージは変わらないのではないだろうか。

高齢化問題に後継者不足、たくさんの問題を抱える農業

その世界に飛び込んだのは、当時大学を卒業したばかりの槇紗加さん。一番農業とイメージが遠い彼女が、その道へ進んだ決意とはなんだったのだろう

そこには純粋な好奇心と、農業の未来を明るく照らすであろう希望があった。

どうやって農業に出会ったのか?

まきさんは現在自分の農園をもってらっしゃるんですよね?

ーはい。私は、大学を卒業後、小田原市の矢郷農園で2年間の農業研修をし、今は独立して自分の農園『はれやか農園』の代表として活動しています。

農業に関心を持った経緯、やりたいと決心したことについて教えてください。

ー正直大学時代は全く農業に興味がなかったです。

元々教員を目指していて、幼稚園の免許と、小学校の先生の免許を取得しました。なので大学2、3年生くらいまでは小学校の先生になるんだろうなと…。

そこまで進んでいながらも先生への道には進まなかった…。何か理由があったんでしょうか?

ー実習を重ねていくうちに、なんか違うなと思って…。いろんな会社でインターンを始めて、いろんな経験をしました。

ですが、一般企業で働くのはまた違うかもしれない…、なんて思い出したんです。

心が動いた農業との出会い

そんなときに農業との出会いが?

ーそうなんです。たまたま知り合いが農業用ドローンの研究をしていて、その方が運転免許を持っていなかったことから(ドローンって車に乗せないと移動できない)、運転手をやることになったんです。一緒についていくうちに、農業の魅力にふれ、心が動きました

実際に、農業への関心、方向性を考えたのはその頃?

ー大学4年の夏頃ですね。素敵な職業なのに若者の担い手が少なくて、どんどん畑がなくなっている…。「あ、じゃあ農業やろう」って(笑)。

  • 収穫風景

タイミング的にも農業との出会いは大きかったんですね。

ー実は産直ecサイトの会社でインターンをしていて、いろんな生産者さんに触れる機会も増えていた時期なんです。やっぱり素敵な仕事だなって思い始めて、決心したのが大学4年の秋くらいだったと思います。

まきさんは農業を始めるにあたって、解決したい目的があったんですよね?

ー農業について勉強したり調べていて、 私が解決したかった問題が『耕作放棄地』に関すること。本来だったらおいしいミカンが待ってる畑が、担い手がいなくて、どんどん荒れていっちゃう…という現状がある。それをなんとかしたいと。

*耕作放棄地とは…

「耕作放棄地」とは、5年に一度調査が行われる「農林業センサス」で定義されている用語で、「以前耕作していた土地で、過去1年以上作物を作付け(栽培)せず、この数年の間に再び作付け(栽培)する意思のない土地」であり、農家等の耕作意志の調査結果となります。

引用元 : 農林水産省 「荒廃農地」と「耕作放棄地」って同じもの?・・・違うようです

つまり『耕作放棄地』の現実を知り、より農業への情熱が強くなったと

ー『耕作放棄地』が多いのは、傾斜の多い中山間地域と言われていて。おじいちゃん、おばあちゃんが、「もう斜面登れないよ」「 条件が悪いよ」っていうところがどんどん廃れていく、というイメージです。

だから、そういうところで農業をやりたいなって思いました。段々畑だったり、傾斜の多いところって、柑橘が美味しく育つとも言われていたんで。

後編へ続く…(15日アップです!)

INFORMATION

まきさんのInstagram

まきさやか | 5月にレモン農園をオープンする予定の24歳|小田原に移住して、石橋の『矢郷農園』元研修生|みかんなどの柑橘類やキウイフルーツも育ててます

HP: https://www.instagram.com/maru_nougyo/?igshid=MzRlODBiNWFlZA%3D%3D

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