
制限から生まれる余韻〜言葉と旅をする〜 陽|haru

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新しい出会い
私は文章を書くことが好き。
だからこそ、「この感動を言葉にして伝えたい!」と思う瞬間があります。例えば、好きな本に出会った時、何かに心が大きく動いた時、です。
しかし、その時々に私が綴っていく言葉は、私の感動を何十倍にも希釈したものにしかならず、どこか満たされない気持ちがしばらく続いていました。
「どうやったら自分の言葉は広がるのか」
手に取る本に救いを求めた時もありましたが、自分の言葉が広がるような刺激には、出会えないままでいたのは事実。
そんな時、ある人がInstagramで歌集を紹介しているのを見て、短歌や詩というものが気になりました。同時期に選書サービスを利用し、そのアンケートで「詩や短歌が気になります」と送ったところ、届いたのが『あかるい花束』という本。

「こんなに自由なんだ!」
今まで、詩や短歌というものに触れてこなかったので、何から手をつければいいか分からない…。誰かに選んでもらうことで出会いが増えるのもいいなと思いました。
詩や短歌に対して、「難しい」というイメージが強かった私。ですが、現代短歌というものは何気ない日常をユーモラスに表現していて親しみやすい。「こんなに自由なんだ!」と新鮮な発見を得られた瞬間でした。
最後に少しだけ、私が好きな歌をご紹介します。
だいじょうぶな嘘をときどき混ぜながらわたしの安全地帯を守る
(岡本真帆,あかるい花束,p17 )
「あ、こういうときあったな」と思います。無理しないけれど小さな嘘。心を守っているそれが「安全地帯」と表現されているのが秀逸だなと思います。
とうめいなザバスの筒で飲む水のこういうことがたぶん生活
(岡本真帆,あかるい花束,p101)
グラスではなく、キッチンにあるプロテインシェイカーで水を飲むという「生活感」がリアルで心に残りました。
おわりに
具体的な背景は分からないけれど、こんな気持ちを感じたことがある。それが31音という制限の中で伝わってくることに衝撃を受けました。
文章で書くとその感情に至った経緯や感情を深めて書くだろうけど、短歌は詠んだ背景は詳細にはわからない。言葉の余韻を感じ、自分の経験と重ね共感する。その楽しみが短歌にはあるのだろうかと思いました。
言葉数の制限があるからこそ生まれる余白。その余白が自分の記憶を思い出させるのかもしれない。そう思わせてくれる一冊でした。
ー END ー